はるのゆめ

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大江広元の涙

再び「眠れないほど面白い吾妻鏡」という本から記事にします。広元のエピソードが紹介されています。

『「大人になってから涙を流した記憶がない」と言っていた、冷静沈着な広元が一度だけ、涙を流したことがあり、それは、1219年、三代将軍源実朝が右大臣拝賀のため、鶴岡八幡宮に出立する直前のことだそうです。

実朝の近くで、近侍していた広元は、わけもなくあふれ出る涙に胸騒ぎがした。そこで実朝に

「泣いたことがない私が涙を禁じ得ないとは、ただ事ではありません。用心のため、束帯(公家の正装の時の装束)の下に鎧を召してください」

と進言したが、実朝は一笑に付して鎧を着用しなかった。そして、そのあと、実朝は公暁に暗殺されてしまう。』

たしか、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、源実朝を心配し、進言するシーンが描かれましたが、ドラマでは北条泰時が、実朝の身を案じていました。

ドラマの中では、源実朝暗殺は、源実朝の思い、公暁の思い、そして、北条義時三浦義村の思い、北条泰時の思い、それぞれの思いが描かれていて、見ごたえのある回でした。

そして、広元の話しに戻りますが、広元の四男大江季光(すえみつ)は「宝治合戦」で、三浦泰村に味方して、三浦一族と共に、鎌倉の法華堂で自害しますが、その子孫は、安芸毛利氏の始祖となって、戦国大名たる毛利元就に繋がっていくそうです。

この写真の近くには、大江広元のお墓もありました。

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そして、源実朝暗殺の舞台となった鶴岡八幡宮の写真です。

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