はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

ユリウスの幸せ

オルフェウスの窓」の主人公の一人であるユリウス、幸せになって欲しいと、ずっと願ってきた登場人物です。

決して、幸せな最期は描かれていませんが、でも、ユリウスは本当に幸せではなかったのでしょうか。幸せな時もあったのではないかと思い、今回はそのことを考えてみたいと思います。

1部で、ユリウスは、男の子として周囲を偽って生きていますが、本当は女の子であることを、周囲に打ち明けようと、母のレナーテ夫人と決意する場面があります。その時、自分の生涯での、さいごの幸福なひとときであったと書かれています。

このあと、ユリウスは、自らの主治医であるヤーン先生をその手で殺害してしまいます。この殺人は生涯ユリウスの心に深い罪の意識を残し、そういう意味では、心から安心出来る時を、この先、生涯持てなかったのです。

でも、ユリウスは本当にずっと不幸だったのでしょうか。

一番ユリウスの顔が輝いて見えたのは、ペテルスブルクに到着した時でした。

今まで背負ってきたものを全て捨てて、愛するクラウスに会うために、その愛に殉じようとして、ロシアに来たユリウスの表情はとても清々しくみえます。

のちにユリウスはこの時の心境を、この世にありもしない至福のパラダイスを求めていたと思い返していました。

そして、ユスーポフ邸での生活、ここでの生活も不幸ではなかったと思います。

アレクセイに会えることを、待つしかない状況だったかもしれませんが。

そして、アレクセイと再会し、拒否されたユリウスは、すべての記憶をなくしてしまいます。そんなユリウスのことを庇護していたのは、レオニードでした。レオニードもいつしか、ユリウスを愛していました。

そして、再び、アレクセイと再会した後のユリウス、記憶を失っているため、ドイツでのアレクセイとの恋は思い出せないのですが、アレクセイを愛するようになります。そして、夫婦として結ばれて、一緒に暮らすようになります。

ここでの生活は、革命家の妻として、いつも危険と隣合わせである、アレクセイを、待つだけの生活になりますが、それでも、愛するアレクセイとともに、夫婦として暮らしていた数年間、ユリウスは女性として幸せな時間を過ごすことが出来ていたと思います。

そして、アレクセイの子供を身ごもり、ミハイロフ家にいた時はどうでしょうか。この時も、アレクセイとはなかなか会うことはできませんが、愛するアレクセイの子供を身ごもっています。そして、生まれてくる子供を喜んでくれているアレクセイのおばあさま、優しい執事のオークネフもいてくれました。多分、心穏やかな幸せな時間を過ごすことが出来たはずです。

そして、大きな悲劇があり、廃人のようになってしまったユリウス、レーゲンスブルクでの生活はどうだったでしょうか。

ここでも、マリア・バルバラお姉さまがいて、ずっとユリウスの帰りを待っていてくれました。そして、帰宅を喜んでくれました。そして、男の子と偽ってきたユリウスなのに、それを受け入れ、アーレンスマイヤ家を継がせることを考えています。

何と懐の深い、優しいお姉さまでしょうか。そう考えると、決して、不幸な状況ではないと思うのです。

でも、ユリウスは、自分が何者なのか、どうやって生きてきたかも思い出すことはできない状態で、あらゆる感情をなくしてしまったように、ただ生きているだけでした。この時が一番辛い気持ちだったかもしれません。

ユリウスは、どんな過去であろうとも、受け止めて、人間として生きていきたいという想いをダーヴィトに話していました。

ユリウスは幸せだったのかどうか、結論は出ない話しなのです。でも、「ベルサイユのばら」のオスカルの言葉である、「一瞬たりとも悔いなく与えられた生を生きた」という言葉は、ユリウスにも当てはまるのではないかと、私は思うのです。

そして、イザークはこう言っています。真の女性らしさとは、たおやかに強いことであると。そして、そのたおやかに強い女性の一人として、ただ一人、ロシアにクラウスを追っていったユリウスのことも、名前を挙げています。