はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

術後2日目

2日目になり、痛みが大分よくなってきました。座っているのも痛くないし、体を起こす時はまだ痛いけど😓

朝ごはんは、ツナおろしと麩の味噌汁が美味しかったです。牛乳も出ました。

おかゆが七分粥でした。岩のりをつけて、全部食べることができました。

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術後1日目と2日目では、体調がここまで変わるのかと思いました。

看護師さんが洗髪をしてくれて、さっぱりしました。

今日は病院内お散歩したりして、飲み物買うために、2階のコンビニに買いに行ったり、なるべく歩くようにしました。

まだ、傷が痛むので、スタスタとは歩けませんが、歩くことができました。

今は外科の入院の場合、翌日から歩くことが推奨されますし、入院期間も短いため、6日間くらいの入院になりそうです。

術後1日目

朝になり管が外れて、楽になりました。まずは、腰が痛いので、湿布を貼って欲しいとお願いしました。

そのあと、着替えをして、ベッドに座っていたら、痛みで脂汗が出て、気持ちが悪くなりました。血圧も下がり、貧血のような感じです。横になると楽になるので、横になって休みました。

でも、一度横になると、体を起こすのに、お腹に力が入りとても痛いのですが、座っているのも辛いです。

腹筋に力をかけない体の起こし方を看護師さんが教えてくれました。

ベッドの頭を上げて、体を起こす。そして、足を先にベッドの下に下ろす、そして、ベッド脇のバーを掴み、腕の力で体の向きを変えます。痛いことは痛いのですが、腹筋に力がかかりにくく、起き上がれます。ちなみに傷の痛みは、ズキズキする痛みというより、筋肉痛のような痛みです。

術後1日めは、6階の病室から、1階のレントゲン室に歩いて行くという、ミッションがあります。エレベーターは使いますが、術後すぐの体にはなかなかハードルが高いものです。

ベッドでしばらく休んでいたら、回復してきたので、看護師さんと一緒に、一階のレントゲン室まで歩いて行きました、昨日手術したという男性も一緒です。

お互い、痛いですねとか言いながら、一階におりました。看護師さんは念のため、車椅子を一つは持って、一緒に降りてくれました。

レントゲン室は、午前中で、外来の人もいるため、椅子に座って待っている間に痛みと寒さから、再び気持ち悪くなりました。ふと横を見ると、昨日手術した男性も顔が蒼白で、気持ち悪いですと言っています。

看護師さんは、一回病室に戻りましょうかと言って、男性を車椅子に乗せました。そして、私にも大丈夫ですかと聞いてくれました。私も気持ち悪いですと言ったため、看護師さんは電話をして、もう一台車椅子を持って下に降りて来てくださいと、別の看護師にお願いしていました。
それで、車椅子で再度6階の部屋に戻りました。

座っているのが痛くて辛いのですが、お昼が来たので、ベッドから起き上がり、お昼を食べようとしました。

重湯とコーンスープが出ましたが、半分くらい食べたら、再び吐き気に襲われて、これは無理だと思い、食事をさげてもらい、吐き気どめの点滴をしてもらいました。
この日は、カップでお小水の量をはからなければならず、点滴をしているため、トイレも1時間おきに行き、それが大変でした。
午後に、今度は車椅子でレントゲン室に連れて行ってもらいました。

何とかレントゲンを撮ることができて、夜ご飯の時間になりました。夜も離乳食みたいのがでました。
ミルクムースだけ完食して、あとは残してしまいました。自分自身の体調のせいもありますが、食事が全く美味しいとは思えずに食べられませんでした。

主治医の先生は点滴をしているから、無理して食べなくていいよと言ってくれました。

その夜で点滴が終わりました。点滴がなくなるだけで、トイレに行くのもずいぶん楽になります。

この夜もよく眠れない長い夜でしたが、手術後、初のオナラが出て、とりあえずは安心しました。

手術を受けました

朝の7時から水も禁止で、点滴も始まりました。12時から手術でした。夫と待合室で一瞬顔を合わせて、頑張って、頑張りますと手を振って別れました。

手術室には看護師さんと歩いて行きました。手術室に着いてから、いろいろと質問に答えて、手術台に寝て、口にマスクを当てられました。「大きく深呼吸していてください」と言われ、「麻酔を点滴から入れます」と言われ、麻酔の医師より、ちゃんと目覚めるから心配しないでと言われました。そしてあっという間に寝てしまいました。

そして、夢を見ていて、急に終わりましたよと起こされました。えー何だっけ、そうだ手術受けてたんだと思うほど、普通に寝ている感覚でした。

でも、のどがガラガラで痛い。人工呼吸器などの機械を入れていたためでしょうが、人工呼吸器は、ついているところは自分では認識できませんでした。
あっという間に処置が終わり、病室に戻っていました。

酸素マスク、心電図モニター、点滴、尿の管、そして、血栓予防のマッサージ器がついています。
口の中が渇き辛いので、水を口にふくましてもらいました。吐き気と傷の痛みがあります。我慢せずに看護師さんに言ってと、手術経験者の多くの方に言われていたので、痛み止めと吐き気どめの点滴をして貰いました。

薬が効いて、吐き気と痛みは少し和らぎました。

お昼12時からの手術で、1時半には夫は手術が終わりましたと先生から話があったそうです。

胆嚢が炎症を起こし、十二指腸などに癒着があったとのことでしたが、腹腔鏡手術で綺麗に胆嚢が摘出できたそうです。

私はまだ、見ていませんが、胆嚢も写真に撮ったと夫は言っていました。
胆石もケースに入れて貰いました。真っ黒な石がたくさんありました。

こんな物が体の中にあったのかと思いました。 

胆嚢に炎症があり、十二指腸などに癒着もあり、胆嚢の中にこんなに石があったのに、痛みなどの症状はなかったのがとても不思議ですが、ガン化する前に見つかり、手術できたことは、とても運が良かったと思います。

手術が終わり、それからの時間は辛かったです。いっそのこと眠れたら楽だと思いましたが、眠れません。

寝返りはしても構わないけど、体は起こさないでと言われました。

でも、いろいろな管がついていて、寝返りがしにくい、足が収縮するマッサージ器が辛い。腰痛持ちなので、腰が痛い。

傷の痛みもありますが、動けないことの腰の痛みが辛かったです。

朝までの辛抱ですが、長い長い大変な夜でした。

入院しました

日胆嚢摘出手術を腹腔鏡手術で行う予定です。

午後1時に入院、6日間の入院ですが、着替えなどもあり、結構大きな荷物になりました。

本とゲーム機なども持ってきました。

今日は採血をしたぐらいです。あとはお臍を掃除して貰いました。

お臍小さいですねと言われました。

こんなことを言われたのは初めてです。

お臍が小さい?お腹の贅肉のせいでしょうか(笑)

夕飯食べました。

おかゆ300グラムです。あとは、がんもの煮物、サラダ、ロールキャベツ、サラダ、パイナップルも出ました。

多いです。おかずは頑張って完食しましたが、おかゆは少し残してしまいました。

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明日は朝から絶食、点滴、そしてお昼頃からの手術になります。

病室から見える富士山が綺麗でした。

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手術前検査

年明けに入院手術を予定しています。

一昨日造影剤を入れてのCT検査、今日は胃カメラ検査を受けました。

造影剤は初めてでした。喉から子宮にかけてカーッと熱くなりますと言われましたが、その通りでした。

最近は自分の子宮を意識することが少なかったのですが、ここは確かに子宮だと思いました。

今日は胃カメラです。鼻から受けましたが、やっぱり少し気持ち悪いです。

鼻からの麻酔がのどに流れたり、カメラが入ると、痰のような、唾のようなものが口の中に溜まります。

胃を膨らましたりするのも、気持ち悪いです。ゲップを我慢するのがつらいです。

私が手術するのは胆嚢ですが、胃は近いため、胃に問題がある場合は、胆嚢と一緒に胃も手術しますということでした。胃はピロリ菌もいない、綺麗な胃ですと説明がありました。

ポリープはあるのですが、問題ないということでした。

お産で入院以外は、初めての入院、そして、全身麻酔手術なので、怖いような、楽しみ(?)なような気持ちです。 

術後痛みはあると思いますし、一時的に人工呼吸器とかもつけられるようで、麻酔がかかっている時は、何をされてもいいけど、意識が戻って、人工呼吸器がついていたら、嫌だなと思います。でも、仕方ないです。

今のところ、痛い苦しいなどの症状はなく、普通に過ごしています。

入院手術というと、大丈夫?と心配されますが、今のところ、何でもないです、元気ですと言うしかありません。

 

勤労感謝の日

11月23日は、勤労感謝の日でお休みでした。そして、30回目の結婚記念日でした。東京都内に夫と出かけました。

今年のテーマは「牧野富太郎氏」です。

NHK朝ドラ「らんまん」でもモデルになった植物学者です。その牧野富太郎氏にゆかりのある場所を訪れることにしました。

とはいえ、私はいつもの通り一緒に行くだけ、計画は夫が立てました。

午前中は、牧野記念庭園に行きました。練馬区にあります。西武池袋線大泉学園駅から歩いてすぐです。

牧野富太郎氏が、晩年住んでいた家と庭が、亡くなったあと記念庭園となり、博物館になっています。

ドラマにも出てきた、奥様すえこさんのお名前をつけた「スエコザサ」もお庭にありました。牧野富太郎博士の銅像も一緒です。ドラマでも描かれていましたが、奥様すえこさんの献身的な協力があって、これだけの業績を成し遂げることが出来たのでしょう。

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そして、午後からは、小石川植物園に行きました。東京大学の研究施設ですが、広大な敷地に多くの植物が植えられていて、一般の方も入ることが出来ます。

ここも、東京帝国大学で助手として働いていた、牧野富太郎氏が研究していた場所でもあります。

私は20代の頃、小石川植物園のある文京区白山に仕事で10年ほど通っていました。

地図を見ると、勤め先と目と鼻の先とまでは言えませんが、比較的近い場所であることが分かりました。その当時は名前は聞いたことがありましたが、行ったことはない場所でした。

文京区は都内の中でも緑が多く、落ち着いた雰囲気があり、下町情緒も残る街です。懐かしい気持ちになりました。

そして、牧野富太郎氏と言えば、彼が集めた40万点もの標本は、博士が亡くなられた後、東京都立大学に寄贈されました。

本当は、東京都立大学の牧野標本館にも行きたかったのですが、企画展が祝日でやっていないことから、行くのを辞めました。

そして、その代わりに、この日から公開された映画「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」を観ました。

今回は埼玉県より、滋賀県のネタが多いです。くだらないのですが、やっぱり面白いです。

一つネタバレすると、杏さん演じている役が、滋賀のオスカルと呼ばれていました。杏さん美しいなと思いました。

ベルばら二次創作を読んで

ベルばらを心から愛し、そこからインスピレーションを受けた方々が、ベルばらの二次創作をしています。

私は小説の二次創作をネットで読みました。本当に想像力豊かで、興味深く読みました。

二次創作は、私が読んだものは、オスカルが原作より、女性らしく描かれていることが多いです。

原作でも時にツンデレと思う場面もありましたが、二次創作では、アンドレを翻弄するオスカルが描かれていることもあります。少し小悪魔的な感じといいましょうか⁈

相手はアンドレであったり、ジェローデルと結婚することになるストーリーもありました。

フェルゼンがオスカルに惹かれて、求婚するというストーリーもありました。

バスティーユ攻撃で亡くなるというのが原作ですが、アンドレと共に命が助かり、アンドレと結婚して子供が生まれるというストーリーもありました。読者の願望が反映されているようです。

「ベルばら手帖」という本の中でも、池田理代子先生は、「今なら、妊娠して子育てをするオスカルも全然ありでしょうね。ちょっと育児休暇を取ったりして」と語っています。

連載当時、最後にオスカルを死なせない選択肢もあったそうです。でも、あの頃の私(当時24歳)は、アンドレと結ばれた後、男装しているオスカルはまったく想像できなかったと池田理代子先生は、この本の中で語っています。

育児休暇後のキャリアチェンジも、軍人以外の訓練を受けていないし、なかなか難しい(笑)と語っています。

オスカルが、あの戦闘で亡くならなかったら、その後を想像するのは、私は今でも難しいです。

その後も軍人として生きるオスカルを、想像することが出来ません。

もし生きていたとしても、表舞台には出ることなく、アンドレと幸せな結婚生活を送ったというストーリーの方がしっくりと来ます。

ベルばらの登場人物の中では、ロザリーが本編、エピソード編も含めて、その後のフランス革命を見届けて、フェルゼンの死も見届けて一生を終える役割を担いました。

それは、ロザリーだから出来ること、ある意味脆そうに見えながらも、一番強い女性のように感じます。