大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条泰時にほのかな恋心を抱き、恋の歌を送る、源実朝の繊細な恋心が描かれていて、話題になりました。
史実では、おそらく違うのでしょうが、ドラマとしては、面白かったです。源実朝も北条泰時も、二人ともとても、ピュアな感じがするため、心に残るシーンだったと思います。
最近「眠れないほど面白い吾妻鏡」という本を読みました。この本はタイトル通り、とても面白い本でした。その中では、源実朝についても、書かれています。
「藤原定家、正岡子規も絶賛する「和歌の実力」を持っていた人」そして、「将軍としてより、歌人として名高い人」と書かれてあります。
「小倉百人一首」に選ばれている有名な歌が、
「世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海士(あま)の小舟(おぶね)の綱手(つなで)かなしも」
そして、歌の師匠にあたる藤原定家が、「実朝公の歌を読むと、そのすばらしさに気圧されて、歌を詠む自信がなくなってしまう」と大絶賛しているとのことです。
「実朝という人は、これからという若さで亡くなってしまった。あと十年も生きていたら、どんなにたくさんの名歌を残していたことだろう。とにかく一流の歌人だった」と評価しているそうです。
「鎌倉殿の13人」の中で、源実朝が、最初に北条泰時に送った恋の歌は、
「春霞 たつたの山の桜花 おぼつかなきを 知る人のなさ」
そして、「鎌倉殿は間違えておられます。これは恋の歌ではないですか。」と北条泰時に言われ、歌を返された時に、「そうであった。間違えて渡してしまったようだ。」と答え、次に渡した歌が、
「大海の 磯もとどろに 寄する浪 われて砕けて 裂けて散るかも」
この歌は、荒々しい海の情景を詠んだ歌だと思いますが、源実朝の生涯を思うと、「われて、砕けて、裂けて、散る」その無残さが、本人と重なります。
そして、28歳という若さで、兄頼家の遺児、公暁に殺害される源実朝の辞世の句が、
「いでていなば 主なき宿と なりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」
この歌も、まるで、自分が死にゆくことが、分かっていたような、なんとも切ない歌です。
「鎌倉殿の13人」は、権力闘争の連続のドラマでしたが、その中で源実朝のエピソードは、ひとときの安らぎを与えてくれたと思いますし、柿澤勇人さんが演じた源実朝は、ずっと心に残っています。