はるのゆめ

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わたしが直接の指揮をとる

オスカルはパリ出動の命令を隊士たちに伝えました。隊士たちには動揺が広がります。

出動命令が出ている2個中隊というのが、どのくらいの規模であったかを少し調べてみました。

1789年当時、フランス衛兵隊は総数3600人、30の中隊があったということです。そうすると、1個中隊は120人、2個中隊は240人という計算になります。だから、3600人中240人の出動に、隊長であるオスカルが行く必要は本来なかったのかもしれません。

マリー・アントワネットも、オスカルが指揮官であることを聞くと、「ばかな、たかが2個中隊の指揮に、ほかにも将校はおおぜいいるではありませんか」「早馬を、オスカルを追って、いそいでオスカルをとめるのです」と言っています。

わたしの想像以上に、大所帯のフランス衛兵隊、メゾン・ミリテール・デュ・ロワ、最大の部隊を構成していたとあります。

メゾン・ミリテール・デュ・ロワってなんでしょうか。これも調べてみました。アンシャン・レジーム下でのフランス国王の近衛軍を指す言葉のようです。

アンシャン・レジームとは、フランス革命以前のブルボン王朝、絶対王政期のフランスの社会・政治体制をさしている言葉です。

つまりは、フランス衛兵隊は、絶対王政期のフランス国王の近衛軍に属する歩兵連隊ということのようです。

オスカルはそこの隊長って、すごいことではないですか。

中隊には中隊長がいるようです。中隊長の指示に従いと、オスカルが言いかけたところで、アランが「納得できません」と言います。「民衆に銃をむけろとおっしゃるのですか、あなたが」

「あなたは貴族だから」というアラン達に対し、「だまって、わたしについてきてくれる兵士はいないのか、このわたしが直接の指揮をとる」とこたえるオスカル

「では、それなら、したがいましょう」「あなたの指揮なら」とアランがこたえます。

最初から、オスカルは隊士たちが出動に拒否反応を示すことが分かっていたと思います。そして、自らがパリに行くことも決めていました。でも、隊士たちが納得して、自分についてきてくれるだろうかという不安も、もしかしたら、あったかもしれません。

でも、隊士たちは隊長を信頼しています。だから、あなたの指揮なら従いますとこたえるのです。

オスカルがフランス衛兵隊隊長に着任した時、あんなにも反抗的だった隊士たちが、あなたの指揮なら、たとえどんな状況になろうとも、従うとこたえるのです。

オスカルのやってきた一つ一つのことは、間違っていなかったし、それが、証明された瞬間だと思います。