萩尾望都先生の「トーマの心臓」は少年を描き、少年同士の愛の姿を描きながらも、少年愛ではない、萩尾望都先生は自叙伝の中で、「愛以前の混沌とした人間関係の話」と書いています。
萩尾望都先生は、「私は少年愛はよくわからないままです」と書いています。
萩尾望都先生が、生み出した「少年」という概念、決して、男の子ではなく、男性でもない、性を超越したような、キャラクターがとても魅力があります。
「ポーの一族」のエドガーとアラン。そして、「トーマの心臓」のトーマ、エーリク、ユリスモール、オスカーもそうです。
「トーマの心臓」は、読み返してみると、キリスト教信仰が、ベースに描かれていることに気がつきます。
例えば、エーリクを殺そうとするユリスモールに、エーリクが言った言葉もそうです。
「きみがそうしたいなら、そうすればいい」
この言葉を、ユリスモールは、イエス・キリストが、自分を裏切るユダに対して、言った言葉と同じだと言っています。
聖書にはこのように書いてあります。「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」マタイ26:50
「あなたがしようとしていることを、すぐしなさい」ヨハネ13:27
イエス・キリストは、ユダが自分を裏切ることを知っていました。でも、「あなたがしようとしていることをしなさい」と言っています。
ユリスモールは、自分を罪深い者、そして、翼をもぎ取られたものととらえています。
そして、トーマの死は、ユリスモールを救うための死です。物語の冒頭、
「彼は死んでいるも同然だ そして彼を生かすために ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない」と書かれてあります。
この「彼」はユリスモール、そして「ぼく」はトーマですが、ここを読むと、トーマはイエス・キリストの型であることが分かります。
イエス・キリストは、霊的には罪の中に、死んでいる人類の救いのために、人として肉体を持って生まれ、十字架にかかり、命を捨てて死んでくださった。そして、そのことを信じる者が救われるというのが、キリスト教の考え方です。
まだ、少女マンガは少女のためのもので、ラブコメディなどが多かった時代に、このマンガが描かれたのは、やはり驚きです。当時、少女マンガ雑誌には、読者アンケートというものがあり、「トーマの心臓」は人気がなかったというのも、充分に納得のいく話しです。
でも、あとにも先にもこんな作品は生み出されていないと思います。
私は、萩尾望都先生の作品の中でも、名作中の名作だと思います。