はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

運命の扉の前で 

アニメの「ベルばら」は、パリへの出動、そして、アンドレが銃弾に倒れるところまでが放映されました。

オスカルが、フランス衛兵隊の隊士たちに、自分の考えを述べますが、そこが大きく原作とは異なります。

アニメ版オスカルは「愛する人の考えに従う」と言います。「アンドレと私は夫婦になった」と言い、「アンドレの考えに従う、夫の信じる道を共に歩む妻になりたい」と言います。

そんな馬鹿な〜とつっこみたくなります。オスカルの考えは?オスカルの主体性はどこにあるの?

アンドレが、民衆と共に戦う道を選ぶから、妻となったオスカルは、アンドレに従ってその道を進むと言う描き方がされています。

原作のオスカルは、アンドレの先を行っています。パリの出動が、何を意味するか、そして、その時に自分が進むべき道をオスカルは、決めていたと思います。

そして、アンドレに望んでいることは、「わたしが臆病者にならぬよう、しっかりとそばについていてくれ」ということです。

そして、アンドレも、「つれていけ、つれていけ、地獄の果てまで、おれはおまえの影だ」と思うのです。

何があっても、オスカルのそばを離れずに影として、生きようとするアンドレ、原作のアンドレはそのような人だと思います。

アンドレの描き方の違いもありますが、夫に従う妻としてオスカルを描いたところが、原作で本来伝えたかったオスカルの考え方を描いていないと思います。

オスカルは、心は自由だと言っています。そして、心だけではなく、髪の毛一本に至るまで、人は神の下に平等であると語っています。

オスカルはそのように考え、王室を裏切り、民衆と共に戦う道を選んでいきます。

アニメでは、民衆と共に戦おうとするオスカルたちが、民衆の理解を得られないことが描かれています。

兵隊なんか信用できないと言う民衆たちに、オスカルは、「私以外の者は、君たちと同じ第三身分の平民たちだ、どうか彼らを信じて、共に戦って欲しい。」と訴えます。

ベルナールのとりなしもあり、その言葉は、民衆たちに受け入れられますが、裏切者となった、元フランス衛兵隊隊士たちには、連隊本部からの討伐命令が出て、次第に追い詰められていきます。

そして、強行突破して、テュイルリー宮広場に戻ろうとするところで、アンドレが銃に撃たれます。

ここもアニメと原作では違います。原作では戦場で咳き込んでしまったオスカルに、向けられた銃口に気がついたアンドレが、オスカルの身代わりとなり、銃撃されます。

原作では、おまえのためにおれは命を捨てようと、ずっと思ってきたアンドレの願いが成就した形の死が描かれています。

私はアニメ「ベルばら」を全部観ていませんが、アンドレのこの死の描き方は、無駄死にのような気がしました。

これでは、愛するオスカルをおいて、無念の死ではないのか、何故このように描いたのかなと考えてしまいます。

来週の放送を見ると、その答えは分かるかもしれません。