「はみだしっ子」を読んでいて、ここに登場する少年たちの辛さは、どこにも自分の居場所がないということだろうなと思います。
でも、ストーリーが進んでいくと、それぞれに自分の居心地のいい場所、そして、いてもいい場所を見つけていく様子も描かれていきます。
私たちも、もしも、家庭に、学校に、職場に、地域社会に、どこにも自分の居場所がなかったら、たとえ、衣食が足りていても、生きていくことはとても辛いことだと思います。
例えば、学校では、クラスがあり、自分の席があります。居心地が良い悪いは、別として、自分の居場所であり、いてもいい場所だと思います。
また、職場も担当する部署があります。デスクワークではないと、自分の机はないかもしれませんが、働く場所が与えられていれば、そこも居場所です。
そして、家庭において、自分の居場所は、どこでしょうか。
自分の部屋があれば、そこが居場所だし、部屋はなくても、リビングにお気に入りのソファがあれば、パソコンの置いてあるデスクがあれば、テレビがあって椅子があれば、そこも自分の居場所になり得ると思います。
若い人だと、休みの日はベッドの上で、ほとんど過ごすという人もいるかもしれません。
隣の席で働いている、20代の一人暮らしの若者に話を聞いたら、休みの日は、ベッドの上で何でもすると言っていました。
お料理を作るのが好きな人は、キッチンが自分の居場所かもしれないです。
私は、ダイニングテーブルの椅子に座って、スマホをいじっている時、そして、ソファに座ってテレビを見ている時、そして、一人になりたい時は、自分の部屋もあります。
部屋にはベッドがあり、パソコンがあり、ピアノがあり、クラリネットも置いてあります。
テレビもあります。最近はテレビにつないで、サブスクでドラマや映画も観られるし、任天堂Switchも出来ます。
「ベルサイユのばら」「オルフェウスの窓」「ポーの一族」「鬼滅の刃」などのコミックスが、置いてあります。部屋にいる時が一番気持ちが落ち着きます。
でも、居場所は、実際の場所だけの話ではないのかもしれません。
例えば、自分に与えられている役割があれば、そこに自分の存在理由があると感じることも出来ます。
地域で何かの活動をしている、家庭で主婦として頼られている、職場でも、自分の担当する仕事があるし役割があるなら、それは自分の居場所です。
生きている限り、自分の居場所、居心地のいい場所、必要とされている場所を常に求めて生きていくような気がします。でも、そうなると、何も出来なくなったら、役に立たなくなったら価値がないのでしょうか。
何が出来るわけでもない、でも、いてくれるだけでいい、いてくれて嬉しい、そんなこともあると思います。
もし、あなたがいてくれて嬉しいって言ってくれる人がいたら、それだけで幸せかもしれないと思います。