はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

バラの花びらを食べるのですか

お婿さん選びのパーティは、オスカルの思惑通り、めちゃくちゃになりました。

ジェローデルは、かえって、わたしは嬉しい、これで求婚者はわたしひとりになって・・と言います。

うぬぼれるなと返すオスカル、わたしは生涯何があっても、だれの為にでも、ドレスは着ないと言います。

これは、一生涯、何があっても、誰のためにも、女として生きるつもりはないということですね。

でも、この言葉にジェローデルは、オスカルの虚勢を感じたのですね。

それで、そんなあなたが私には痛々しいと言ったのです。オスカルはその言葉に心を刺されています。

なぜ暖かい暖炉ややさしいまどいに背を向けるのです。欲しいと思ったことがあるはずだ、平凡な女性としての幸せを・・とジェローデルは言います。

オスカルはジェローデルの言葉を否定も肯定もしていません。

オスカルは自分では、あまり意識していないかもしれませんが、心のどこかで、ジェローデルの言う通り、平凡な女性としての幸せを願う気持ちがあったかもしれません。

でも、その気持ちは、心の奥底に封じられていたと思います。ジャルジェ家の跡とりとして育てられ、軍人として生きていくことが定められていましたから。

でも、今は自分が本当にそれを望むのなら、それを望んでもいい、手を伸ばせば届くところに、そのような生き方もあるということにオスカルの心は揺れています。

ジェローデルは、オスカルをずっと愛していました。だから、わたしにあなたの苦しみも、悲しみも涙もすべて預けてくださいと心からのプロポーズの言葉を口にするのです。

愛しています、美しい方、ジェローデルはオスカルにキスをします。

しかし、ここでのオスカルの反応は、本人にも予想もできないものでした。

ちがう、わたしの知っている唇はと・・ジェローデルを振り切って逃げるオスカル、本能的、感覚的としか言いようがない、心の動きです。

オスカルが思い出しているのは、アンドレのキスです。なぜ、こんな体中が熱くなるのだ?とけてしまいそうに、このあまいうずきはなんだ・・とオスカルは戸惑います。

このタイミングで、理性や心ではなく、フィジカルな感覚で、オスカルはアンドレを想いだすという・・

ここからアンドレを一人の男性として意識し始めるオスカルの姿が描かれていきます。

何という、巧みなストーリー運びでしょうか。ストーリーテーラーとしての池田理代子先生の才能に感服してしまいます。

この記事の題名にはしましたが、オスカルは何でバラの花びらを食べたのでしょうね。

ジェローデルの優しい問いかけにオスカルは、いけないか!?と応じています。

いけないことはないけど、バラは食べるものではなく、見て愛でるもの、ジェローデルは、強がっているオスカルを、なだめようとしたのかもしれないですね。

あと、やさしいまどい、まどいは美しい日本語ですね。今風に言えば、家族の団欒のような意味合いになるのでしょうね。

 

 

 

 

お婿さん選びの舞踏会

オスカルのお婿さん選びの舞踏会が開かれることになります。

この場面は池田理代子先生も楽しんで描いていたのでは。そして、読者サービスのシーン満載です。

まずオスカルの礼装姿が見られること、これはドレス姿の次にレアものです。

作中2回しか着ていません。 

そして、極めつけが、オスカルの男性としてのプレイボーイぶりが描かれています。オスカル、男に生まれていたら、こんなふうに、女性を口説き落としまくっていたかも笑

フランス衛兵隊の隊員たちは乱入するし、パーティはめちゃくちゃになります。

でも、密かに喜んでいた人がいました。ジェローデルですね。

この舞踏会のあとのオスカルとの対話、オスカルの本当の心、そして、初めてアンドレを男性として意識する大事な場面です。

長くなりそうなので、次回に続きます。

 

NHK歴史探偵 マリーアントワネット

昨日、NHKで放映されていました。

マリーアントワネットの生涯が、分かりやすく取り上げられていました。

ベルサイユ宮殿のガラスの回廊、アントワネットの寝室の映像。本当に美しい宮殿です。

でも、フランス宮廷での暮らしは、様々な儀式に縛られ、プライバシーの全くない生活だったようです。

毎朝のお着替えも公開、出産の公開の話し、驚きました。

羽飾りやレースなど、煌びやかな衣装を着ているイメージですが、それもフランスの広告塔としての役割があったようです。

アントワネットの本当の好みはもっとシンプルな現代の洋服でも通じるような、色合い、デザインのものを好んでいたようです。

アントワネットは、宮廷での儀式に縛られた生活より、プチトリアノン宮殿での暮らしを愛し、限られた貴族しか訪れることができなくなります。

そこで、子供たちを自分の手で育て、広大なベルサイユ宮殿に、緑豊かな自然や動物たちを飼育する場所を作ったりしています。

現代の感覚では、普通に人間らしい暮らしがしたかっただけだったと感じました。

でも、王妃の立場で、当時の王室の中で、それをやってのけたことが、ある意味チャレンジャーだし、強い人、でも、そのために、多くの人に憎まれてしまったようです。

ルイ16世は、肖像画では、ベルサイユのばらルイ16世より痩せています。性格は温和、残酷なことが嫌いな王だったようです。ベルサイユのばらに描かれた王様と同じように、家族を愛し、アントワネットにも優しい王様だったようです。

革命勃発後、処刑までの裁判のことも取り上げられていました。

国家財政を破綻させた罪、実際には、軍事費などの方が、国の財政を破綻させていますが、処刑ありきの裁判だったようです。原作でも最後の力を振り絞って戦う、アントワネットの姿が描かれていましたね。

そして死刑判決がくだり、公開処刑されます。処刑も当時の民衆たちにとっては、見せ物というのか、娯楽のような感覚だったのですね。

そんななか、最後まで、女王としての威厳を失わなかったアントワネットの姿は立派です。

ベルサイユのばらで、アントワネットが、ギロチンにかけられるページもテレビの中で放映されていました。

 

 

母の愛

ばあやとオスカルのやりとりは、頻繁に描かれていますが、オスカルと母ジョルジェットのやりとりはあまり多くはありません。

でも、ベルサイユのばらの前半では母とのエピソードも描かれています。

男の子として育てられたオスカルは、母を守ろうとする気持ちが強いようです。デュバリー夫人とアントワネットの争いに、母が巻き込まれそうになった時、また、ロザリーが、母のかたきをとろうとした時に、勘違いをして、オスカルの母を刺そうとした時の様子からも分かります。

母上が家に戻られる、よしオスカルも家からつとめに出ようと言っているところもあります。オスカルにとって、優しく美しい母は心から敬愛する大切な存在なのだと思います。

そして、オスカルが本当に辛い時、アンドレには言えない時、母を求める姿が印象的です。

アンドレに毒殺されそうになり、未遂に終わった時、

アンドレまさか」オスカルはアンドレのしようとしたことを察しました。

その時に母ジョルジェットの部屋に行っています。

母上と言って、母の膝に縋り付きます。

こんなオスカルの姿はみたことがありません。私は父上の人形ではありません。男でもなく、女でもなく・・苦しい胸の内を母に訴えます。

ジョルジェットは、優しく、オスカルの頬を手で包み込んで、父ジャルジェ将軍の本当の心のうちをオスカルに話して聞かせます。

愛に溢れる素敵なシーンです。 

パリ出動前夜、軍隊なんかやめておしまいになってと泣くばあや、

「奥さまでさえじっと耐えていらっしゃるものを、ばあやもそうは思うのでございますが・・」

ストレートにオスカルへの愛をあらわすばあやに対して、じっと耐えているジャルジェ夫人の様子が思い浮かびます。

そして、パリに出動していくオスカル、オスカルの肖像画の前で肩を震わせて泣くジャルジェ夫人の後ろ姿。これが愛する娘との永遠の別れとなってしまうことを予感しているのかもしれません。

 

ショコラかけ事件

オスカルに求婚し、父ジャルジェ将軍からも結婚の許しを貰い、ジャルジェ家に出入りするようになったジェローデルとアンドレの場面です。

このシーンは、ジェローデルがアンドレを侮辱し、アンドレを怒らせたとしか思っていなかったのですが、ジェローデルの気持ちは、少し違うのではないかと思うようになりました。

ジェローデルがオスカルを想ってきた期間は、アンドレと同じくらい長く、そして、すべてがスマートなジェローデルですが、オスカルに対する気持ちは真剣です。誓ってまことの愛と言っています。

オスカルとの結婚に対する不安は、表向きはない縁談です。家柄の釣り合いもとれているため、国王陛下のお許しも貰えるはずですし、ジャルジェ将軍からも結婚の許可を貰っています。

気がかりがあるとしたら、それはオスカルの気持ちと、アンドレの存在だと思います。

オスカルの副官として、近くにいたジェローデルは、いつもオスカルと共にいるアンドレをどう思っていたのでしょうか。

アンドレとオスカルは、うらやましいほどに一緒だったと語ります。

また、オスカル自身が、気がついているかどうかは、ジェローデルも分かりませんが、オスカルにとってアンドレが自分の分身であることを、ジェローデルは見抜いています。

ジェローデルは、オスカルが結婚を承諾してくれるかどうか不安があります。

本来は分身のような存在であるアンドレ、しかも男性のアンドレを、妻になるオスカルの側におきたいわけはないと思います。

でも、オスカルがそれを望むのなら、そして、アンドレもそれを構わないと思うのなら、自分はそれを受け入れるだけの心の広さはあるつもりだと言っています。

その気持ちが、君さえよければというひと言に表れています。

自分の気持ちよりも、オスカルの気持ちを優先して考えるジェローデルの気持ちの表れのような気がします。

オスカルの気持ちの中で、アンドレと離れることが、結婚をためらう理由になるのなら、ジェローデルは、アンドレを今まで通り、そばに置くことは譲歩するという気持ちなのではないでしょうか。

その気持ちが、「妻を慕う召使いを妻のそばにつけてやるくらいの心の広さはあるつもりです」という言葉になったと思います。

ただ100%それだけで、全く他意がない言葉だったとも言い切れない気もします。

ジェローデルは、アンドレのオスカルを想う気持ちを知っていたと思いますし、二人のこれまでの、つきあいの長さや深さをよく知っています。

だから、そのように言うことによって、逆にアンドレをオスカルから遠ざけようとする気持ちがなかったでしょうか。全くなかったとは言い切れないようにも思うのですが。

いずれにしても、アンドレにとっては、オスカルの結婚の話さえ、受け入れられないのに、ジェローデルの妻になったオスカルのそばにいることなどできるわけがありません。

そのひと言にかっとなり、ジェローデルの顔に、ショコラをかけてしまいます。

記事の内容が消えてしまいました

9月11日に載せた記事が、理由はよくわかりませんが、タイトルだけ残して消えてしまいました。 

アンドレの毒殺未遂を書いた記事でした。

ゴミ箱も探しましたが、見つかりませんでした( ;  ; )

初心者で、復元方法もわからないため、諦めますが悲しい。かなりの長文だったため、書いた内容は覚えているのですが、新たに同じように書き直すのは無理そうです。

内容を思い出しながら、少しずつ記事にしていこうと思います。

はてなブログは初めてで、昔はYahooブログをやっていたことはありましたが、いつの間にか、放置し、更にYahooブログ自体がなくなってしまいました。

そんなわけで、今後も何らかのトラブルはあるかもしれません(T . T)

 

そういえば、池田理代子先生も、ベルサイユのばらエピソード編の中で、ジャルジェ将軍が、娘のオスカルのことを語るシーンで、一度原稿を紛失したことを語っていました。今となっては結果オーライで、書き直したものの方が良かったですというインタビュー記事が載っていました。

アシスタントさんも帰ってしまったあとで、一人で徹夜して描いたそうで、点描も久しぶりに自分で打ったそうです。

40年たってエピソード編を描いてくださったことは凄いことだと感じます。

 

わけもなく涙が・・

アンドレが、毒入りワインを持って、オスカルの部屋に入ってきた時、オスカルは、ジャンジャックルソーのヌーベルエロイーズを読み涙を流しています。

「いぜん、読んだときはちっともいいとは思わなかった、それなのに、わけもなく涙が、胸がしめつけられて」と。

この少し前に、オスカルは、ジェローデルのキスから、ちがう、わたしの知っている唇はと、アンドレとのキスを思いだし、このあまいうずきはなんだ・・というシーンがあります。心で恋心を自覚する前に、肉体的にアンドレを猛烈に意識する、印象的なシーンです。

一方、アンドレも同じ本を読み、死によってしか結ばれない愛があると、オスカルを想います。そして死によってすら結ばれない愛を選ぶことを決意します。

「なぜ、わけもなく涙が、なぜだろうアンドレ」と、オスカルの涙を流す横顔と、思い詰めたアンドレの正面からオスカルを見つめる表情が、印象に残ります。

身分違いの恋をする小説の主人公たちに、オスカルの心は敏感に反応しています。この主人公たちに、身分違いの恋、この世では決して結ばれることのない自分とアンドレを重ねています。

だから、胸がしめつけられ、涙がとまらないのですね。まだ、自分の恋心を自覚していないのに、この描き方、やはり、池田理代子先生、只者ではありません。