はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

原作では描かれなかったが

前回記事から、少し時を進めたいと思います。

1789年7月14日、バスティーユ攻撃と、その前日の暴動が発生したテュイルリー宮広場の二つの戦闘で命を落とした、アンドレとオスカルの亡骸は、どうなったのでしょうか。

ロザリーとベルナールが二人の死に立ちあっているため、おそらく、ジャルジェ家に、戻されたのではないかと思います。

しかし、長年王家にお仕えしてきた、ジャルジェ家で、王家を裏切り、民衆側についたオスカルを父ジャルジェ将軍が表むきは許すことはできないと思います。

ただ、パリに出動する朝に、「いくがいい、おまえの選んだ道を、その情熱の命ずるままに・・」と自分とは違う道を進んでいく、娘の生き方を認めていました。

また、ジャルジェ夫人の気持ちを考えると、オスカルの亡骸を受け入れたのではないかと思います。

ロザリーから、オスカルの最期の様子、また、ベルナールからアンドレの最期の様子を聞いたと思います。その場にはジャルジェ将軍と夫人、ばあやはあまりのショックにベッドから出られなかったのではないかと思います。

そして、ロザリーは、「わたしたちは、夫婦になったのだから、同じ場所に埋葬して欲しい」という、オスカルの遺言をジャルジェ将軍と夫人に伝えたと思います。

お葬式は、ごく身内だけで、ジャルジェ将軍、夫人、そして、ロザリーとベルナールが立ち会い、二人を同じ場所に埋葬したのではないでしょうか。

ばあやはショックで寝込んでいて、お葬式には行けなかったでしょうか。そして、おそらく、二人が亡くなったあと、二人のあとを追うように、亡くなったと思われます。

オスカルの肖像画を描いた画家が、ジャルジェ家を訪ねてきた時に、ばあやも亡くなった直後なのかなと思いました。ばあやが最も愛していたアンドレとオスカルの魂が、迎えに来ているような描写に見えました。

ばあやも、オスカルとアンドレの近くに埋葬されたと思います。

場所はどこでしょうか。

アンドレが8歳まで、住んでいた故郷の村に、アンドレの両親のお墓があるのなら、その近くなのかもしれないと思います。

あとは、ジャルジェ家の領地がある、アルトア州アラスという可能性もあるのかもしれません。

原作に描かれてはいませんが、そんな気がします。