はるのゆめ

ベルサイユのばらが大好きです

フェルゼンの心

先日、記事にしたオスカルとフェルゼンの別れのシーンについて、少しつけ加えたいと思います。

「もしも、はじめてあったとき、おまえが女性だとわかっていたら、あるいは、ふたりのあいだは、もっとちがったものになっていたかもしれない」

とフェルゼンは、オスカルに対して言うのですが、私はこの言葉は、オスカルにとっては、今更それを言われても、酷な話しだと思いました。そして、「オスカルの失恋」の記事で、そのような内容を書きました。

でも、このフェルゼンの言葉はもしかしたら、この時のフェルゼンの本音が少し含まれている言葉なのかもしれないと思いました。

フェルゼンは、女性としてのオスカルの姿を、つい先日の舞踏会で初めて目にしたわけですが、その美しさに驚き、本当に心惹かれるものを感じたのかもしれません。

マリー・アントワネットさまと出会った頃に、この女性と出会っていたら、もしかしたら、自分はこの女性に恋をしたかもしれないということまで、思ったのではないでしょうか。

フェルゼンが何でこんなこと、今更オスカルに言うのかなと思って考えてみると、それは、本当に今そう思っているからなのかもしれないと私は感じました。

そして、ここからは、この日のフェルゼンの気持ちをもう少し考えてみようと思います。あの舞踏会で踊った時も、フェルゼンは「オスカルか」と言っていました。確信はなかったのですが、そう思ったのでしょう。

そして、この日は最初から、そのことを確かめるつもりだったようです。多分、言葉で聞いても「何のことだ」とはぐらかされるのは、分かっているので、かなり荒っぽい行動にでます。

いきなり、オスカルの長い髪を手で上に持ち上げてしまいます。そして、間違いないことを確信します。

オスカルが自分に対して、そんな気持ちを抱いていたことなど、少しも気がつかなかったことを、フェルゼンは後悔します。

今までは、オスカルを親友だと思っていたから、オスカルに散々甘え、いつも王妃さまとの許されない恋に苦しんでいる自分をさらけ出してきてしまっていたのです。

でも、それを聞いていたオスカルにどれほど辛い想いをさせていただろうかと、フェルゼンは己を恥じたのだと思います。だから、もう会うことはできないと言ったのですね。

でも、読んでいて、まだ、分からないこともあります。それは、オスカルのそんなフェルゼンだからこそ、でなければ愛しなぞしなかったという言葉はどういう意味でしょうか。

フェルゼンがアントワネットさまを愛していること、その気持ちが変わらないこともオスカルは分かっていて、そんなフェルゼンだからこそ、自分は愛した、むしろそんなフェルゼンでなければ、愛したりしなかったと読めるのですが、間違いないでしょうか。

恋が実らない相手だったから愛したということなのでしょうか。

多分ですが、ここは、最初から実らない恋なのは分かっていた、でも、それでもわたしはあなたを愛してしまったというふうに、読み取るのが、いいのかなと思います。

少女向けに描かれたはずの「ベルサイユのばら」ですが、なかなか理解がおいつきません。