娘の幸せを願うことは、いつの時代のどんな場所であっても、変わらない母の想いだと思います。
私にも20代の娘がいます。娘の幸せをいつも願っています。でも、心配もあります。そして、私自身が20代だった時も、まだ先行きが不透明で不安も多い年代だったということを思い出します。
そして、「ベルサイユのばら」にも、娘の身を案じるマリア・テレジアの姿が描かれています。
マリア・テレジアは、愛するマリー・アントワネットの未来に対して、いつも、不安を持っていたことが、描かれています。
マリア・テレジアは、マリー・アントワネットの性格をよく知っています。
考えることの嫌いな平凡な娘に、フランス女王の地位など、不幸をもたらすものにすぎないのではないかと考え、亡くなる直前まで、危惧していました。
残念ながら、その危惧した通り、マリー・アントワネットは、女王として国民のために生きることはせず、浪費を重ね、遂には、フランスには革命が起こります。そして、断頭台で処刑される日が来てしまいます。
マリー・アントワネットは、母マリア・テレジアを敬愛していました。自分の第一子である王女に、母の名前をつけたことからも、分かります。
マリア・テレジアは、女王として、一番見本とすべき人だったと思いますが、マリー・アントワネットは、自分のしたいように、好きなように生きていったのです。
でも、革命がおきてからのマリー・アントワネットの生き方は、若い頃とは別人のように変わります。
偉大な女王である母マリア・テレジアの名を恥ずかしめないよう、女王として立派に死を待ちますと言っています。
また、初めから処刑ありきの裁判にかけられている時も「じぶんの名誉のためではなく、後々までも、歴史という、偉大な真の裁判官にこたえるため」と言い、一日15時間にも及ぶ、法廷で戦っている姿が描かれています。
そして、断頭台に向かうマリー・アントワネットは、「私にのこされた仕事はただ立派に死ぬこと・・」と思うのです。
マリア・テレジアは、マリー・アントワネットのことを心配しながら、亡くなっていきました。その不安は当たってしまったかもしれませんが、でも、もともと、生まれながらの女王さまである、マリー・アントワネットの最期は、誇り高い立派な最期だったと思います。